roombaの日記

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様々な文体で「日本語の美しさ」を楽しめる小説6選

はじめに

小説には様々な楽しみ方があると思います。登場人物に共感するもよし、ストーリーを純粋に楽しむもよし、作者の哲学に思いを馳せるもよし。

なかでも、私は様々な文体に触れられることが読書の大きな魅力だと思っています。というわけで、この記事では個人的に文体が気に入っている小説を選んでみました。日本語が読めてよかった……と幸せを感じるものばかりです。

比較的古めの小説が多く、青空文庫で無料で読めるものもあるので、ぜひ読んでみてほしいです。この記事だけでは魅力を語り尽くせないので、いくつかの本については後日個別に書評を書いていく予定です。



夏目漱石草枕

只この景色が-ーー腹の足しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽しませつつあるから苦労も心配も伴わぬのだろう。自然の力はここに於て尊とい。吾人の性情を瞬刻に陶冶して醇乎として醇なる詩境に入らしむるのは自然である。

私がもっとも好きな小説の一つで、次から次へと名文が現れます。必ずしも明確な筋書きがあるわけではないのですが、ことばを追うだけでその美しさに浸れてしまう稀有な小説です。実際、小説中の会話にこんなくだりがあります。

「……小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして、御籤(おみくじ)を引くように、ぱっと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」

(太字は筆者)

まるで草枕の読み方それ自体に言及しているかのようです。読んでいると、うるさい人情から離れ、静かに水墨画を眺めるような気持ちになってきます。

冒頭の「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」はあまりにも有名ですが、その先に「住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、難有い世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。」と続くことからも分かるように、この小説は芸術論にも踏み込んでいて、芸術に興味がある人は読んで損はないのではないでしょうか。ピアニストのグレン・グールド20世紀最高の小説と評したのも頷ける、珠玉の一冊です。

草枕 (新潮文庫)

草枕 (新潮文庫)

幸田露伴五重塔

「……御覧の通り、のっそり十兵衛と口惜い諢名をつけられて居る奴でござりまする、然し御上人様、真実でござりまする、工事は下手ではござりませぬ、知つて居ります私しは馬鹿でござります、馬鹿にされて居ります、意気地の無い奴でござります、虚誕はなかなか申しませぬ、御上人様、大工は出来ます、大隅流は童児の時から、後藤立川二ツの流義も合点致して居りまする、させて、五重塔の仕事を私に為せていただきたい、それで参上ました、……」

最初は「古くさくて難しい」と思って2ページで諦めたのですが、後日思い切って読み始めると小気味よいテンポ(特に会話)に魅せられて一気に読了しました。多少分からない単語等があっても一文字ごとに立ち止まらず、音読するように読み進めると楽しめるかと思います。ページ数も120ほどと短いですし、本では読み仮名も丁寧にふってあります。

解説によると「求心的な文体」らしいのですが、よくわかりません。とにかく一気に引き込まれて、読み終わった後にぼうっとしてしまうような圧倒的な文章です。すごい。

五重塔 (岩波文庫)

五重塔 (岩波文庫)

谷崎潤一郎『春琴抄』

誰しも眼が潰れることは不仕合わせだと思うであろうが自分は盲目になってからそう云う感情を味わったことがない寧ろ反対に此の世が極楽浄土にでもなったように思われお師匠様と唯二人生きながら蓮の台の上に住んでいるような心地がした、それと云うのが眼が潰れると眼あきの時に見えなかったいろいろのものが見えてくるお師匠様のお顔なぞもその美しさが沁々と見えてきたのは目しいになってからであるその外手足の柔かさ肌のつやつやしさお声の綺麗さもほんとうによく分るようになり眼あきの時分にこんなに迄と感じなかったのがどうしてだろうかと不思議に思われた取り分け自分はお師匠様の三味線の妙音を、失明の後に始めて味到した

立ち読みすると一目で分かりますが、句読点がとにかく少ないです。内容もなかなか凄まじいのですが、句読点の少なさによって語り口に畳み掛けるような迫力が加わり、恐ろしいようで美しい異様な雰囲気を醸し出しています。読み終えると「とんでもないものを読んでしまった……ほええ……」となり、しばらく引きずってしまうような小説です。

春琴抄 (新潮文庫)

春琴抄 (新潮文庫)

坂口安吾桜の森の満開の下

花の下の冷めたさは涯のない四方からドッと押し寄せてきました。彼の身体は忽ちその風に吹きさらされて透明になり、四方の風はゴウゴウと吹き通り、すでに風だけがはりつめているのでした。彼の声のみが叫びました。彼は走りました。何という虚空でしょう。彼は泣き、祈り、もがき、ただ逃げ去ろうとしていました。そして、花の下をぬけだしたことが分ったとき、夢の中から我にかえった同じ気持を見出しました。夢と違っていることは、本当に息も絶え絶えになっている身の苦しさでありました。

桜の季節がくる度に何度も読み返す小説です。安吾自身の言葉を借りれば、「凄然たる静かな美しさ」「宝石の冷めたさ」「何か、氷を抱きしめたような、切ない悲しさ、美しさ」が流れています。物語に流れる空気のようなものについて言えば、私はこの小説が最も好きです。説話のような形式で丁寧に語られ、読後感も素晴らしい。読んでしまうと桜を見る目が変わってしまうかも。

この小説を読むなら、同じく坂口安吾の『文学のふるさと』という文章をぜひ読んでもらいたい。これも美しい文章です。ここに書かれている「文学のふるさと」をもっとも強く感じるのが『桜の森の満開の下』だと思います。

それならば、生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。私は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。この暗黒の孤独には、どうしても救いがない。我々の現身は、道に迷えば、救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期すらもできない。そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。
 私は文学のふるさと、或あるいは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まる――私は、そうも思います。

坂口安吾 文学のふるさと

桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫)

桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫)

中島敦『文字禍』

 賢明な老博士が賢明な沈黙を守っているのを見て、若い歴史家は、次のような形に問を変えた。歴史とは、昔、在った事柄をいうのであろうか? それとも、粘土板の文字をいうのであろうか?
 獅子狩と、獅子狩の浮彫とを混同しているような所がこの問の中にある。博士はそれを感じたが、はっきり口で言えないので、次のように答えた。歴史とは、昔在った事柄で、かつ粘土板に誌されたものである。この二つは同じことではないか。
 書洩らしは? と歴史家が聞く。
 書洩らし? 冗談ではない、書かれなかった事は、無かった事じゃ。芽の出ぬ種子は、結局初めから無かったのじゃわい。歴史とはな、この粘土板のことじゃ。

中島敦といえば『山月記』が有名で、そちらもすばらしいのですが、ここではあえて『文字禍』をおすすめします。とても短いので、青空文庫でも読めてしまうかもしれません。
以下の本などに掲載されてます。

中島敦 (ちくま日本文学 12)

中島敦 (ちくま日本文学 12)

町田康『くっすん大黒』

ミュージシャン出身の町田康、ここでは唯一最近の作家さんです。手元にないので引用できないのが残念ですが、独特のリズミカルな文体です。
なかでも、『くっすん大黒』での「チャアミイ」という“えぐい顔をした、おばはんの客”や『河原のアパラ』での「はま子」をこき下ろす文章は町田康らしさに溢れていて必見です。
いずれも以下の本に掲載されています。

くっすん大黒 (文春文庫)

くっすん大黒 (文春文庫)

無料版

無料版(著作権切れ)は以下から手に入ります。
個人的には紙の本が好きですが、紹介した小説は結構くせが強いので試し読みをしてみるとよいかもしれません。
青空文庫 Aozora Bunko

五重塔

五重塔

桜の森の満開の下

桜の森の満開の下

文字禍

文字禍

おわりに

遠藤周作とか安部公房もいれたかったのですが、またの機会に。他にも良い本があれば教えて欲しいです……
しかし「文体」の正体って一体なんなんでしょうね。