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roombaの日記

読書・非線形科学・プログラミング・アート・etc...

2015年5月に読んだ本まとめ

はじめに

お久しぶりです。もはや5月だけでなく6月も終わりましたが、5・6月をまとめると40冊以上になってしまうので、とりあえず5月に読んだ本だけをまとめることにします。
最近本を読むばかりでブログ等にアウトプットをしておらず、孔子さんに「即ち罔し」と言われてしまいそうです。

今回は、「小説(海外)・小説(国内)・ゆるいエッセイ・その他(笑える句集・新書・芸術・科学等)」に分類しました。各本について、タイトル・リンク・読書メーターに書いた感想(一部追加・修正あり)の順に記します。↓↓↓

小説(海外)

4月と同様、海外の小説を結構読みました。なかでも良かったのはゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』。岩波文庫だし、ゲーテだし、全3巻だしということでビビっていましたが、これが普通に面白いのです。主人公が様々な体験を通して内面的に成長していく過程を描く「教養小説」というジャンルの代表的な作品でもあるらしいです。

■ヴィルヘルム・マイスターの修業時代〈上〉 (岩波文庫)

ヴィルヘルム・マイスターの修業時代〈上〉 (岩波文庫)

ヴィルヘルム・マイスターの修業時代〈上〉 (岩波文庫)

つまらないだろうと予想していた訳では無いけれども、こんなに面白いとは意外。登場人物が様々な方向から主人公の内面に影響を及ぼしていくのは「教養小説」として想像した通りだが、説教くさくないし、ストーリーの展開を追うだけでも普通に楽しめる。続きが気になる! 読みやすさも最近の小説とそんなに変わらず、たぶん『魔の山』よりも読みやすい。最近までこの本の存在を知らなかったけれど、もっと広く読まれて良いと思うなぁ。全然古臭くないし、これが200年以上前に書かれたとは驚きだ…


■ヴィルヘルム・マイスターの修業時代〈中〉 (岩波文庫)

ヴィルヘルム・マイスターの修業時代〈中〉 (岩波文庫)

ヴィルヘルム・マイスターの修業時代〈中〉 (岩波文庫)

第1〜8巻のうち、本書では第4〜6巻を収録。なかでも、ヴィルヘルムが中心となって『ハムレット』を上演する第5巻に強く引き込まれた。彼が語るハムレット論も読み応えがあるのだが、上演の過程において、現実世界でも『ハムレット』を思い起こさせるような予感に満ちた出来事や言葉がポツポツと現れるのである。そのような予感を残したまま第6巻には一見関係のない「美わしき魂の告白」(これ自体が一つの教養小説のような手稿)が置かれ、中巻を終える。これはどう本編と関連しているのか? そして上記の予感は合ってるか?下巻が気になる!


■ヴィルヘルム・マイスターの修業時代〈下〉 (岩波文庫)

ヴィルヘルム・マイスターの修業時代〈下〉 (岩波文庫)

ヴィルヘルム・マイスターの修業時代〈下〉 (岩波文庫)

中巻までの疑問は解決され、様々な人物・出来事・言動が精巧に配置されていたことが分かる(わざとらしく感じる人もいるかもしれないが)。しかしこの小説の魅力はそのような構成の巧みさだけではない。教養小説としての人間形成の過程に伴う数々の箴言、物語自体の美しさ、散りばめられた詩(歌詞)、『ハムレット』のモチーフなどが見事に織り込まれて調和しているのである。このような小説を自らの「修業時代」のような年頃に読めて嬉しく思う。様々なことが書かれているので、どんな時期に再読しても得るものがありそうだ。



以下の『魔の山』も同じく教養小説の代表例です。上巻は3月に読みました。

魔の山 下 (新潮文庫 マ 1-3)

魔の山 下 (新潮文庫 マ 1-3)

魔の山 下 (新潮文庫 マ 1-3)

宗教的なナフタや「人物」を感じさせるペーペルコルンが下巻で新たに登場し、ハンスに影響を与えてゆく。ナフタとセテムブリーニの議論は何回読んでも難解だなと思っていると、次第に鈍感という悪魔が魔の山を支配して、最後には外的要因によって物語は終焉を迎える。「鈍感という悪魔」は時間のないような停滞した生活をもたらす存在であり、時間とは本作品の一つのテーマでもあるのだ。物語における時間の伸縮の議論・時間を空間に置き換えた「海辺の散歩」・時間芸術たる音楽と物語の比較等を読めば、「時間」が何度も扱われていたことが分かる。


■ペドロ・パラモ (岩波文庫)

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

ラテンアメリカ文学の有名な作品。生と死、現在と過去が交錯する独特な雰囲気をもった小説。短めの断片から構成され、場面が頻繁に入れかわるうえに、必ずしも時系列順に配置はされていない。読んだときにはそのような雰囲気を味わうにとどまっていて、それでも十分新鮮だったのだが、解説を読むと意外と精緻に構成された作品でもあったらしい。馴染みのない固有名詞に惑わされていて気がつかなかった…。いずれ再読するときにはよく注意して読んでみよう。


↓これは小説というか戯曲だけど…。
マクベス (新潮文庫)

マクベス (新潮文庫)

マクベス (新潮文庫)

魔女から預言を聞いてしまったマクベスは、まるでそれが義務であるかのように運命に身を任せるようになる。しかしながら、魔女のささやきは結局のところやはり「魔女のささやき」だったのである。 …末尾の解題と解説では『ハムレット』との比較が行われていて興味深い。『ハムレット』『マクベス』とまとめて読むと良さそうだ。



小説(国内)

日本文学もいくつか読みました。好きなのは『観画談』『神の子どもたちはみな踊る』『千羽鶴』あたりですね。
■門 (新潮文庫)

門 (新潮文庫)

門 (新潮文庫)

『三四郎』『それから』とともに夏目漱石の前期三部作と呼ばれる作品。後ろめたい過去を負って妻とひっそり暮らす宗助は、その原因である安井の消息を聞き、禅寺への滞在を決意する。禅寺で悟りを開くこともなく徒労だったように宗助は思うが、しかしながら自分が信念深く「門を通る」人でも「門を通らないで済む」ような愚物でもなく「門の下に立ち竦む人」であることを自覚するに至るのだ。救いのないことが救いになるように、門外に佇む自らを自覚することによってこそ宗助夫妻に小康の春が訪れたのではないかと思う。…とはいえ春は永続するものではないし、宗助がそれを悟っていることは最後の言葉から察せられる。


■青年 (新潮文庫)

青年 (新潮文庫)

青年 (新潮文庫)

鷗外の書いた教養小説で、主人公の小泉純一が上京してから2ヶ月あまりの期間が描かれる。文学を志す純一は、東京において大村荘之助や坂井夫人からそれぞれ異なる刺激を受けながらも、なかなか書き始めようとしない。しかし、年末に箱根を訪れたことがきっかけで、種々の刺激を蓄えた今なら「書けるようになっているかもしれない」と思うに至るのである。そのような心境の変化が生じたのが年の変わり目にあたるというのは象徴的。ただ、個人的には『三四郎』や『魔の山』ほどの魅力は感じなかったかな。ちょっと注が多すぎる。


■歯車―他二篇 (岩波文庫 緑 70-6)

歯車―他二篇 (岩波文庫 緑 70-6)

歯車―他二篇 (岩波文庫 緑 70-6)

いずれも暗く、遺書を読んでいるような気分になる。「歯車」はまるで狂人の眼を通して世界を見るような内容だが、レエン・コオトの男や半透明の歯車などが効果的に登場しており、完成度が高いように思われる。精神を病んでいた状態でこんな作品をかけたのなら恐るべきことだし、逆に健全な精神のもとで想像して書いたとすればそれも凄い。どんな精神状態だったのだろう? あとは「或阿呆の一生」の紫色の火花が印象的だった。


千羽鶴 (新潮文庫)

千羽鶴 (新潮文庫)

千羽鶴 (新潮文庫)

今まで読んだ他の川端作品にも言えることだが、とても平易な言葉で書かれていながら、他の作家には出せない感覚的な美を感じさせる。特に本作品では茶碗や千羽鶴の風呂敷が印象的で、解説にも「ヒロインは太田夫人なのか、志野の茶碗なのか」とあるほどである。前編の「千羽鶴」を読み終えた時点では、なぜ「茶碗」「志野」などでなく「千羽鶴」が題名なのか疑問に思ったけれど、後編の「波千鳥」を読めば納得。人間関係は色々あるが、読み終えて残るものは美しさだ。


■幻談・観画談 他三篇 (岩波文庫)

幻談・観画談 他三篇 (岩波文庫)

幻談・観画談 他三篇 (岩波文庫)

5篇のうち最も物語らしいのが「観画談」であり、個人的には断然これが好き。神経衰弱になって療養の旅に出た大器晩成先生が山奥の僻村の寺を訪ね、大雨の深夜の草庵で幻想的な体験をする話。山奥の寺へと進むにつれて日常から離れた物語の舞台へと引き込まれてゆく。ザアッという雨音に包まれて五官の領する世界を抜けた心持ちになり、あらゆる音声がその雨音に含まれるように感じるところが印象的だった。情景描写や文体もとても良く、この話はどうしても幸田露伴の文章によって語られなければならなかったという気持ちになる。傑作。


神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

神の子どもたちはみな踊る (新潮文庫)

とても良かった。特に好きなのは「かえるくん、東京を救う」かな。「アイロンのある風景」での三宅さんの言葉や、「蜂蜜パイ」での熊の話も印象に残った。 ……うーん、強く心に残る作品ほど感想が言葉にできないという例のアレだ。とにかく、人の心に対して神戸の震災が与えた影響がいずれの作品にも共通して存在している。村上春樹にとってもやはり震災の影響は大きかったはずだけれど、淳平の書きたいと思った「これまでとは違う小説」を村上春樹自身もやはり書きたいと思ったのだろうか。


一房の葡萄 他四篇 (岩波文庫)

一房の葡萄 他四篇 (岩波文庫)

一房の葡萄 他四篇 (岩波文庫)

5つの短い童話。道徳の教科書に載っていそうなお話だが、結構リアルな残酷さも含んでいる。良いと思ったのは、「一房の葡萄」や「碁石を呑んだ八っちゃん」において、悪いことをしてしまい罪悪感に苛まれる少年に対して先生や親から救済が与えられるところ。反省して落ち込んでいるときに優しくされると、怒鳴られるよりもかえって心に響く。もっとも、この方法は教育をする側とされる側の間に尊敬と信頼の関係があって初めて成り立つのかもしれないけれど。

ゆるいエッセイ

いわゆる純文学を読む合間や頭がさえないときにはエッセイを読みます。『うずまき猫のみつけかた』は村上春樹のエッセイ・紀行文の中でも好きな方ですし、夏目漱石なのにあまり知られていない『自転車日記』はロンドンで漱石が自転車から落ちまくる過程を記したとても笑える作品です。

■村上朝日堂の逆襲 (新潮文庫)

村上朝日堂の逆襲 (新潮文庫)

村上朝日堂の逆襲 (新潮文庫)

暑くなってくると文章が頭に入りにくいけど、これなら大丈夫。TV番組も「ジョークとしてみれば面白い」のか。連載当時よりも「ジャンクの時代」化は進んでいるように思えるし、そうでもしないと実際やっていけないよね。最後に村上春樹の描き方が載っていたので描いてみたけれど、なんか違う…

■村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた (新潮文庫)

村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた (新潮文庫)

村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた (新潮文庫)

「村上朝日堂」や「村上ラヂオ」と同様に肩の力の抜けたタイプのエッセイだが、こちらはアメリカ滞在時のことが書かれているのが新鮮で面白かった。奥さんの撮った写真(猫多め)や安西水丸さんの絵は文庫版の本書でもカラーだし、写真の下には村上さんのしょうもないコメントが付いているのがとても良い。

■自転車日記

かわいい。最高。ロンドンで自転車に乗ろうとして転びまくる過程がかかれているだけなのだが、表現のいかめしさが滑稽で、何度も笑ってしまった。おすすめ。


■なんとなくな日々 (新潮文庫)

なんとなくな日々 (新潮文庫)

なんとなくな日々 (新潮文庫)

川上弘美さんの本は『神様』に次いで2冊目で、エッセイは初めて。日常の些細なことに対する感性やことばの柔らかさに、小説から想像していた通りの人柄が感じられた。読んでいると、色々なことに対して「なんとなくまあ、いいや」という気分になってくる。あまのじゃくなところやグダグダしているところ、おじさんの行きそうな飲み屋にいくところなど、親しみの持てる感じだった。他のエッセイも読んでみたい。



その他(笑える句集・新書・芸術・科学等)

■笑う子規 (ちくま文庫)

笑う子規 (ちくま文庫)

笑う子規 (ちくま文庫)

句集を読んだことなんて無かったけれど、これはとても面白かった。17字でこれだけ多様な「おかしみ」を感じさせてくれるとは。「蝶々や順礼の子のおくれがち」にはほのぼのとするし、「稲妻や大福餅をくう女」からは独特のシルエットが浮かんでくる。しかし「睾丸をのせて重たき団扇哉」には驚いたなぁ。これはあくまで思考実験によるものなのか、はたまたin practiceな経験を伴ったものなのか。研究が待たれます。


■笑う漱石

笑う漱石

笑う漱石

文庫で読んだ『笑う子規』が良かったので。こちらには天野さんのコメントがないが、絵は一つ一つきれいな色付きで、眺めているだけでも楽しくなる。子規に2つあった睾丸の句が無いのは残念だが、その代わりに(?)糞の句が2つ含まれていた。絞りきれてないけど、「罌粟の花さやうに散るは慮外なり」「某は案山子にて候雀どの」「菜の花の中に糞ひる飛脚哉」「枯野原汽車に化けたる狸あり」「むつとして口を開かぬ桔梗かな」あたりが特に好み(絵も句も)。「乗りながら馬の糞する野菊哉」では、以前ラクダに乗ったときの出来事を思い出した。


■身近な野菜のなるほど観察録 (ちくま文庫)

身近な野菜のなるほど観察録 (ちくま文庫)

身近な野菜のなるほど観察録 (ちくま文庫)

この本を読むと、八百屋が動物園のような楽しい場所になる。誰もが知っている身近な野菜の語源や歴史・生態・形状など、様々な知識を軽快な文章とともに得ることができる本だ。「キャベツと葉牡丹とブロッコリーは実は同じ種」「レタスのミルク、豆の血」「なぜ関東は白ネギ・関西は青ネギか」「キノコの主成分はカニの甲羅と同じ!?」などなど。これを読んだら同著者の『身近な雑草の〜』とあわせて読むことを推奨する。人間の庇護のもとで改良されてきた野菜と、人間の手をかいくぐってきた雑草の違いが分かるだろう。どちらもオススメである。


■私の個人主義 (講談社学術文庫 271)

私の個人主義 (講談社学術文庫)

私の個人主義 (講談社学術文庫)

漱石の講演集。どの話にも説得力があり、今日においてもなお有意義で、所々にユーモアも感じさせる。なかでも、漱石が「自己本位」によって若き日の煩悶を脱した経験を語る「私の個人主義」は全ての若者が読むに値すると思う。この世に生まれた以上何かをしなければならないが、自分は何をすればよいか見当が付かず、孤独で不安で陰鬱でじれったい。それを脱するには、自己本位を立脚点とし、一つ自分の鶴嘴で掘り当てる所まで進むしかないのである。ジョブズのスピーチの"keep looking, don't settle"云々を思い出す。


■座右のゲーテ -壁に突き当たったとき開く本 (光文社新書)

座右のゲーテ -壁に突き当たったとき開く本 (光文社新書)

座右のゲーテ -壁に突き当たったとき開く本 (光文社新書)

ゲーテとの対話」などからゲーテの言葉を30ほど引用し、その言葉について語る本。本当は「ゲーテとの対話」自体を読みたいのだけれど、ちょっと分厚いので手始めにこちらを読んでみた。「ゲーテとの対話」を深く分析するといった類の本ではなく、ゲーテの言葉をもとに関連する話題をいくつも持ち出し、そこから何かしらの行動指針を導くといった(新書らしい)内容である。なんだか「ゲーテとの対話」が論語みたいな扱いだなと思った。「ゲーテ曰く、学びて思わざれば則ち…」とか書いてそうだ。そんなわけないけど。


■生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫)

生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫)

生命とは何か―物理的にみた生細胞 (岩波文庫)

「生命は淀みのようなもの」という表現をどこかで聞いたことがある。これは自明な比喩表現ではないし、実際自分もピンとこなかったのだが、本書におけるエントロピーの議論を読めば納得できるだろう。川は必ず上流から下流へと流れるが、それはあくまで全体としての話であって、局所的な「淀み」では逆流も存在しうる。同様に、系全体としてのエントロピーは必ず増大するが、局所的にはその流れに逆らう所があり、それこそが生命なのである。この比喩のもとで『方丈記』の「行く川のながれは…」を持ち出せば、代謝のイメージも伝わるかもしれない。


フェルメール 光の王国 (翼の王国books)

フェルメール 光の王国 (翼の王国books)

フェルメール 光の王国 (翼の王国books)

ルーヴル美術館展の予習として、「天文学者」のところだけ再読。この絵には、天球儀・アストロラーベ(天測儀)・書物(『天文学・地理学提要』の第3部「星界の調査/観察について」)が描かれている。書物の中の図はカートホイール型アストロラーベであり、天文学者が手を当てているのは天球儀のはくちょう座のあたりらしい。また、左手のそばの器具にそっくりな計測器具セットを福岡氏は骨董屋で発見する。これらの品々は当時としても趣味的で古びているが、だからこそ福岡氏は天文学者=○○○であるとの説を確信するのである。夢のある説だ。

おわりに

今月の個人的ランキングをつけるとすれば、

みたいな感じです。教養小説と呼ばれる『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』『魔の山』は若いうちに読んでおきたいですね。『自転車日記』はいちばん笑えました。

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