roombaの日記

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座標軸に基づく芸術の分類と、音楽的・絵画的文章の話

はじめに

先日の記事は「音楽とは時間軸上のぽんぽこであり、…」などという妄言から始めました。「ぽんぽこ」はその場で心に浮かんできただけですが、ぽんぽこであろうとなかろうと、音楽が時間軸上の芸術であることは確かだと思います。1つの絵画は3秒でもそれなりに分かりますが、1曲を3秒で楽しむことは難しいですよね。
ここでは、時間や空間といった概念に基づいて理系的な視点で芸術を分類してみます。芸術系どころか文系でもないので適当なことを言っているかもしれませんが、いつものことなので。



↓先日の記事
音楽のリズムとヤング図形 - 音楽生成に向けた考察 - roombaの日記

参考:『草枕』の芸術論

この記事は、夏目漱石の『草枕』から影響を受けています。なにやら難しそうなことが書いてありますが、以下の引用を読むと時間や空間がカギになりそうなことが伺えます。

鉛筆を置いて考えた。こんな抽象的な興趣を画にしようとするのが、そもそもの間違である。人間にそう変りはないから、多くの人のうちにはきっと自分と同じ感興に触れたものがあって、この感興を何らの手段かで、永久化せんと試みたに相違ない。試みたとすればその手段は何だろう。
 たちまち音楽の二字がぴかりと眼に映った。なるほど音楽はかかる時、かかる必要に逼られて生まれた自然の声であろう。楽は聴くべきもの、習うべきものであると、始めて気がついたが、不幸にして、その辺の消息はまるで不案内である。
 次ににはなるまいかと、第三の領分に踏み込んで見る。レッシングと云う男は、時間の経過を条件として起る出来事を、詩の本領であるごとく論じて、詩画は不一にして両様なりとの根本義を立てたように記憶するが、そう詩を見ると、今余の発表しようとあせっている境界もとうてい物になりそうにない。余が嬉しいと感ずる心裏の状況には時間はあるかも知れないが、時間の流れに沿うて、逓次に展開すべき出来事の内容がない。一が去り、二が来り、二が消えて三が生まるるがために嬉しいのではない。初から窈然として同所に把住する趣で嬉しいのである。すでに同所に把住する以上は、よしこれを普通の言語に翻訳したところで、必ずしも時間的に材料を按排する必要はあるまい。やはり絵画と同じく空間的に景物を配置したのみで出来るだろう。ただいかなる景情を詩中に持ち来って、この曠然として倚托なき有様を写すかが問題で、すでにこれを捕え得た以上はレッシングの説に従わんでも詩として成功する訳だ。ホーマーがどうでも、ヴァージルがどうでも構わない。もし詩が一種のムードをあらわすに適しているとすれば、このムードは時間の制限を受けて、順次に進捗する出来事の助けを藉らずとも、単純に空間的なる絵画上の要件を充たしさえすれば、言語をもって描き得るものと思う。

草枕夏目漱石 (太字はブログ筆者)

次章からは、この空間・時間に基づいて芸術を分類してみましょう。

空間上の芸術

2次元

絵画写真はディスプレイでも見ることのできる2次元平面上の芸術と言えるでしょう。もちろん美術館での「体験」*1や絵の具の凹凸のように生で見ないと分からない要素も存在しますが、基本的には縦横の位置(x, y)に対して色を対応付けたものです。
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3次元

縦と横だけに加え、高さを考えると3次元の空間になります。3次元空間上の形状をつくるのが彫刻であり、工芸陶芸建築も同様の側面を有していると言えそうです。純粋に3次元形状に集中させるためなのか知りませんが*2、彫刻って単色のものが多いですよね。

イルミネーションが芸術なのか知りませんが、これも3次元空間上に光を配置するものですね。インスタレーションもここに入るのかな? (最近知ったのですがインスタレーションってInstallationのことなんですね。それを早く教えてくれれば分かりやすかったのに…)

折り紙は2次元の紙を折り曲げて3次元形状を生み出している特殊な例かと思います。外国人にOrigamiは何かと聞かれたら次元を一つ上げるものだと言ってやりましょう。

時間上の芸術

音楽

冒頭で挙げた音楽が時間的芸術の代表的な例でしょう。
空間との比較における時間の著しい特徴はその不可逆性であり、過去に戻ることはできません。絵画は右からでも左からでも上からでも下からでも見ることができますが、音楽は進むがままに受け入れるしかありません。油断していたら過ぎ去ってしまいます。

空間と時間

時間軸の追加

2次元空間上の絵画や写真が時間軸上の動きを獲得すると、映像・映画・アニメーションになります。同様に、3次元の立体が時間軸上に動く場合の例は演劇パフォーマンス的なものでしょうか。現代アートの置かれた公園には動くモニュメント? みたいなものもありますね。

時間軸を空間に展開

逆に、時間的な動きを空間に押し込んでしまうことも考えられます。連続写真は動画をスライスして時間の流れを左右or上下に展開したものですし、楽譜は時間の進行を紙面の横方向に展開したものです。連続写真や楽譜が芸術なのかは謎ですが。
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言語 ー 音楽的・絵画的な文章とは?

小説も芸術に含まれるかもしれませんが、絵画や音楽が感覚器に依存したものであるのに比べると言語は少々特殊な気がします。ともかく、ここでは文章が音楽的・絵画的とはどういうことかを考えてみましょう。

村上春樹氏は、音楽系と絵画系に文体がわかれるとしたうえで、彼自身の文体は音楽の方に属するとしています。

小説の文体って、音楽系と絵画系にわかれるというのが僕の説です。絵画系の人の文章ってとても美しいんだけど、ときどき細部にこだわりすぎて、流れがふと止まってしまうことがあります。音楽系の人の文章は流れがいいのが特徴です。

(下記リンクより引用)
音楽系と絵画系 - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト

文体・言葉遣いのスケール(ミクロな視点)でみれば、確かに音楽系/絵画系は流れ・リズムや描写の方法によって分類できそうに思えます。でも、1冊全体の進行(マクロな視点)でみると別の分類ができるのではないでしょうか。

私の考えでは、音楽的な小説とは明確にストーリーが展開するものであり、絵画的な小説とは必ずしも因果関係によって結ばれることのない出来事が散発的に発生するものです。
そのこころは、上で少し触れた「時間の不可逆性」にあります。ストーリー展開が明確な小説は最初から順に読み進めるべき性質のものであり、読むにつれて時間が進行していきます。物語の時間軸がページ上に展開されたもので、文章は言ってみれば意味内容の楽譜のようなものです。
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一方で絵画的な小説の場合は途中からなんとなく読み始めてもその部分を楽しむことができ、まるで絵画を左からでも右からでもその美しさが得られるように不可逆性の制約から解放されています。
草枕』の会話文には以下の一節がありますが、このような読み方ができるのは絵画的小説の方でしょう。

「……小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして、御籤(おみくじ)を引くように、ぱっと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」

草枕夏目漱石

上記のような分類に基づくと、ベストセラーになりやすいのはストーリーが気になって続きが読みたくなる「音楽的」な小説の方でしょう。しかし、個人的には「絵画的」な文章を好んでいます。しつこいですが、『草枕』がその代表例ではないかと思います。以下の記事でも言及しているので、ぜひ御覧になってください。

様々な文体で「日本語の美しさ」を楽しめる小説6選 - roombaの日記

おわりに

あまり一貫性のない「絵画的な」記事になってしまった気がしています。

草枕』の注釈によれば『ラオコオン―絵画と文学との限界について』という書籍に関連する内容が含まれていそうなのですが、18世紀の著者による381ページの岩波文庫(赤)ということでビビっています。

ラオコオン―絵画と文学との限界について (岩波文庫)

ラオコオン―絵画と文学との限界について (岩波文庫)

*1:直島でモネの絵をみたときの体験は印象的でした

*2:「知りませんが」が何度もあらわれます。